どうして生まれてきたの?
先日のこと、寝る準備をする中で、5歳の息子に聞かれた。
「ママはどうして生まれてきたの?」
仕上げ磨きで床に座る私の後ろに立ち、肩を抱きしめながら。
こんな、コアな問を投げかける、
彼の心情をまずは聞いてみたかったけれど、
そうだなぁ、あなた達3人に逢うためと、
誰かの役に立つためと、
少しでも成長するためかな。
とこたえる。
10歳の長女は、
神様が思っている事を実現しに来た。
それと、ママの子どもになるために生まれてきた。
そして、私も子どもを産むこと。
質問の主に、君は?と尋ねると、
みんなを守るために来た。
みんなの命とかを守るために生まれてきたと。
それと、みんなを信じる!
長女が、2歳の次女に尋ねる。
パパ!
ねーねと、ママと、カント(長男)と、パパと、ナナ(本人)にあいにきた!
とニコニコしている。
3人とも、目をキラキラさせて、
迷うことなく明確に答えた。
発されたコトバを咀嚼しながら、
そして、この時に問われた意味も受けとめながら、
灯りを消した。
ただただ、ありがたくて、
とてつもなく、しあわせを感じて、
そして、今は、命をあずかっている身としての、
強い責任も感じた。
翌朝、「パパにも聞いておいてくれた?」と、再び。
(次の日まで対話が続くことは、日常的にはないので、驚く。)
そんな折りに、Twitterで野口整体の野口さんの言葉をひろう。
@nharuchikabot 【野口晴哉bot】
生きることの価値は生きることそのものだ
生きることの目的は生きることそのものだ
今生きている
その生きつつあることそのものが
生きている意義の全部だ
生きる為のいろいろの目的は所詮人間が造ったものに他ならない
長男の出産の際に、まさに、「腹」で感じた実感、
『生きている、ただそこに存在するだけで、意味がある』
あの時の感覚と、身体が発した喜びを思い出した。
あなたのおかげで、私には強固な軸ができたよ。
彼は、私にとって、いつもそんな存在なのだ。
きっと、これからも折に触れて、問われるのだろう。
感謝を込めて、答えるよ。